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歴史・遺跡

2016年4月13日 (水)

串本・勝浦・那智・吉野山

串本・那智・勝浦・吉野山に出かける。
バス旅行なので割合ハードである。

「紀ノ川SA」で22-22の車体番号が
並んでいる。
この日に同じ番号を4車見る。
これは偶然とは言い難い。
ネットか何かで集合を掛けたのでは
なかろうか。

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「橋杭岩」

53年ぶりである。
街も変わっているので、・・・、
感動はない。

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あの橋の向こうが大島である。

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「青岸渡寺」「那智大社」「那智の滝」

ここも53年ぶりであるが、
様相が変わっており、なかなか記憶が
戻らない。

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「青岸渡寺」

西国三十三ケ寺・第一番札所

妻と一人ずつ納経帳を購入し、
お坊さんに拝んで貰う。

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「那智大社」

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「那智の滝」

落差133m・水量も日本一の滝である。

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滝の上は3つに分かれており、
その上の注連縄は毎年晦日に
若い神官達が
結んでいる姿をテレビで
放送されています。

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「大門坂」

熊野古道の一部です。

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樹齢800年の「夫婦杉」

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「八咫烏」の像

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「なでしこジャパン」のメンバーの足跡。

真ん中が佐々木監督のものです。
意外と小さいです

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真ん中が澤選手のものです。
人気があるのでしょう、薄くなっております。

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「うらしまホテル」

正面の白い建物全部がホテルです。
最大2000人収容出来るそうです。
本日は900人の宿泊客です。
陸続きですが、船でホテルまで行く、
憎い演出があります。

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夕食時には、マグロの解体ショーがあり、
女性客は皿を用意して待っているようです。

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宿泊室の真下が岩礁で夜中は
心地よい潮騒が聞こえてきます。

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「鬼ケ城」

魚眼で太平洋を臨んでみました。

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急激な地盤の隆起が起こり、
各段毎に波蝕洞窟がある。

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「吉野山」

駐車場には数十台以上のバス、
大勢の観光客、大変な雑踏です。
両際には飲食・土産物屋が沢山あり、
人出は椿まつりの初日のようである。

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吉野には、「下千本」、「中千本」、
「上千本」、「奥千本」とあり、
下から段々と咲いて行く。

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「下千本」の寺の境内では花が散り、
静かな佇まいである。

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「黒門」

金峯山寺の総門で、
高麗門という様式である。

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「蔵王堂の仁王門」

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金峯山寺本堂「蔵王堂」

護摩が焚かれた後で水煙が出ている。

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蔵王堂の堂宇

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白浜までは何度か来ているが、
串本・勝浦・那智には53年ぶりである。
二十歳前後で、この先どんな生き方を
したら良いのかと、・・・、
その時、京都→奈良→和歌山→白浜
→串本→勝浦→那智→伊勢鳥羽
→大阪と一泊ずつ旅したことを
思い出します。
私の人生で一番暗い時期だったと
思います。

それと道路のインフラが急激に発展し、
南紀までの時間短縮が出来、
観光の分野ではますます発展するでしょう。

                   成松

2016年4月 4日 (月)

馬島・小島を訪ねて

≪馬島・小島≫を訪ねて

かねてより、来島・小島を訪ねるよう
計画しておりましたところ
JRワープがツアーを出したので
急遽参加いたしました。

松山駅で待っているとアンパンマン列車が
入って来ました。

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造船会社が沢山あるところに
小さな桟橋があります。
波止浜渡船

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この小さな船が、来島→小島→馬島を
往復しております。

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船が橋の下に来たので下から
撮ってみました。
なかなかの迫力です。

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馬島のエレベーターで上まで上がりました。

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これは架橋工事の際、事故に遭い
7名の尊い命が亡くなり、それを悼む碑です。

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いつもは糸山からの写真ですが、
馬島の漁港から来島大橋を撮ってみました。

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馬島は小さな島ですが、産業として
花の栽培が盛んです。
ハウスも沢山ありました。

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次は≪芸予要塞・小島≫に
上陸致しました。

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小島の観光案内の地図

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「28センチ榴弾砲レプリカ」

小島はその昔、仮想敵国ロシアより
本土防衛の為、
6門の大砲が建造されました。
うち2門は旅順の203高地の攻略に
重大な役割を果たしました。
このレプリカはNHKドラマ
「坂の上の雲」のロケで
使用されたもので、NHKから松山市へ、
松山市から今治市へ寄贈され、
この榴弾砲と所縁の深い小島へと
移設されました。

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「発電所跡」

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「南部砲台跡」

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「弾薬庫跡」

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天井は落ちておりました。

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「兵舎跡」
現在は島民の畑になっておりますが、
荒れ放題の畑が多いように思われます。

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「中部砲座跡」

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「砲台跡」

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日露戦争時前後を想像しながら
花見をするのも一興のようです。

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「地下兵舎跡」

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「もう一カ所の発電所跡」

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大正11年、閣議で砲台廃止決定。
波止浜町、小島砲台払い下げの申請。
その後、戦闘機の練習のため、
爆撃されるが技術不足の為、
爆撃失敗。その残骸の跡。

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「椿の散策道」 

昭和52~53年、椿苗木2500本植樹する。
殆どが藪椿のようですが、
下は赤、上は緑のトンネル、・・・
自然に包まれたような・・・
何とも言い難い癒しを受けます。

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島を一周しておりましたら、
石と砂、黒と白のコントラストが鮮やかで、
人為的なものとは思われません。
不思議な情景でした。

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「風の顔ランド小島」キャンプ場

本日の島めぐりで一番期待
していた場所です。
ここは61年前、小学校の遠足で
キャンプをしたところです。
1クラスですから、
40~50名いたのでしょう。
各自が飯盒を持って来て、
海でコメをとぎ、水を入れて炊いた飯、
おかずはなくても美味しかったことを
思い出します。
61年も前のことですから記憶も正確では
ないと思いますが、・・・
建物が多くなっており、また、
違うような気がします。
建て直したのでしょうか。
防波堤が高くなったので石段が
積み重ねられておりました。

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良い思い出だったので
私の子どもたちが小学校の時
ここでキャンプをしてやろうと
思っていたのですが、・・・、残念

忘れていると時間は
あっと言う間に過ぎるものですね。
これからは幼いころ若い頃の
過去を思い出し、
それを訪ねて行くこと。
それも一つのライフワークに
しようかと思っております。

秋には自慢の?カメラを持って来て
紅葉の写真をと思っております。

                  成松

2011年11月29日 (火)

世田薬師・世田山

 波方産業文化祭の帰り道
「きうり封じ」で有名な世田薬師に寄ってみることにする。

「世田薬師」とは正式な寺名ではない。
正式には山号を世田山、院号を医王院、
寺号を栴檀寺と言い、真言宗高野山派に属する。

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広い敷地である。
中央右手に護摩壇がある。
これなら幾ら信者が多くても大丈夫だろう。

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寺坊の前で護摩壇か火渡り(火の上を裸足で渡る)か?

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建造中の不動明王

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世田薬師奥の院
大館氏明一族の墓所

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寺院から山頂までの道案内。

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 「世田山の合戦」

1342年、伊予の守護・大館氏明(新田義貞の甥)と
       細川頼春
1364年、河野通朝と細川頼之
1479年、河野通生と細川義春

日本中世史には度々戦火があった場所です。

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この岩だらけの場所に山城があったらしい。
然も、古戦場跡でもあると言われているが、
こんな狭く急峻なところでどんな戦がされたのであろうか。

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 ここからの眺めを見ていると、
かって今治地方に置かれていた
伊予の国府を守る最後の砦として
築かれていたのが良く理解できる。
 この世田山城が落ちると伊予の国は亡ぶと
言われたほど、軍事的に重要な拠点であったようです。
 道前平野・斎灘が一望に見渡せ
軍事的には最高の場所であったようです。

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 普段歩いていないのだが300mくらいの
山ならと登ってみる。
 
 下山してから下着を替えるほど汗をかくが
それほど苦しくはない。
 翌々日、陶芸の土練をしていると
悔しいかなぎっくり腰になる。
 階段の上がり下がりに杖が必要とは情けない。
これからはウォーキングに少し力を入れなくてはと
反省の毎日である。












2011年4月13日 (水)

奈良の桜

 奈良の春は長閑で気分が落ち着きます。
どこか郷愁さえ覚える感じがします。
 やはり日本人のルーツ、大和の国だからでしょうか。 

「石舞台古墳」

 石舞台古墳は横穴式石室を持つ方形墳で、
築造は7世紀の初め頃と推定されます。
 既に古墳上部の封土は失われ巨大な
天井石が露出した姿になっています。
 被葬者は不明ですが、6世紀後半に
この地で政権を握っていた蘇我馬子の墓では
ないかと言われています。

 玄室の長さ・7.8m、幅・3.4m、高さ・4.8m、
総重量2,300トンという大規模な古墳である。

 石舞台の名の由来は、一般には石の形状からと
されていますが、昔狐が女性に化けて石の上で
舞を見せた話や、旅芸人が舞台がなかったので
仕方なくこの大石を舞台に演じたと言う話もあります。

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玄室に入っている女性は古代の人だろうか。

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郡山城址

郡山城は筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏と
目まぐるしく城主の交代がある。

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宴たけなわの花見客

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何を並んでいるのかと不思議に思い覗いてみると、
柳沢神社にお参りしている人達の列である。
寺社仏閣をお参りするときにこんなに
行儀の良い人たちを見たことがない。
土地柄なんだろうか。
奈良の人達は素晴らしい。

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平城宮跡

710年、藤原京から平城京へ遷都される。
784年、長岡京へ遷都されるまで74年間
都が置かれた政治の中心地であった。

朱雀門

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朱雀門の直ぐ前を近鉄線が走る。

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大極殿

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大極殿を左手で支える力持ちの女性。
スーパーウーマンです。

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遣隋使・遣唐使に使われた船でしょう。

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又兵衛桜

 子供の頃、メンコでは必ず印刷された
あの後藤又兵衛にちなんだ土地とは初めて知りました。
 大阪の役で活躍した戦国武将・後藤又兵衛が
豊臣家崩壊後、この地で再興を待ち、
その時の後藤家屋敷跡に咲く枝垂れ桜だそうである。
 樹齢300年以上の巨木である。

 ただ、2分か3分咲きで満開とはいかず
少し残念ではある。
 この桜だけを見る為に大勢の観光客が
訪れていたのには驚く。

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